好きなことは勝手に続くしやめられなくなる。
最近確実にわかったことです。
好きになってよい深く関わるとより好きになるので、勝手に続くしやめれなくなる。
身近な例で多いのが「映画が好き」という人と数年後に会うとあまり最近見ていない。と。
特に友人や知人に「好きじゃなかったっけ」と思っていたのに非常に悲しく残念に思うことが多いです。
そう、その人にとって映画は好きであって本当に好きではない。ということ。まったくの中途半端なのである。圧倒的に適当だということ。
本当に映画好きな人はどんなに仕事が忙しくても何かしらの映画を必ず見ている。
そういう人に最近何映画見ましたか?の質問で話が止まらなくなります。
身近でもソフトウェアのプログラマーがいますが、小さいときから関わっていて、楽しくて仕方がないのが目に見えてわかる。仕事でも家でもプログラムに関わってしまう。それが数年、数十年勝手に続いてしまっている。そして基本のベースがあり、そこからあまりずれていない。徹底的に関わればより深く好きになることを知っている。
逆に好きなことがコロコロ変わる人。どれもやりすぎていない。自分の意思で決めておらず受動的に物事を決めている。また人付き合いで紹介してもらって好きになった。と思っている。
残念ながらこれはそのことは好きにはなっていない。それは本人が知っている。そして過去を振り返れば殆どが続いていないことに気づくでしょう。その瞬間だけ好きだと言うこと。そして余計なことばかりしている。好きなことがモヤモヤしていて話が深くないので人として魅力をまったく感じさせない。
好きなことを続けている人はコロコロ好きなことを変える人よりも好きなことについて深くなっているため、仕事や生活においてどんどん差がつく。魅力もあるし、活気もある。本質も理解しているし、木の枝葉ではなく、根っこの部分を理解していることでしょう。
根っこを知るとすごく楽しくなります。根っこを知ると他のことでも共通点を見つけられるので自分なりのベースが作られます。そのベース(好きなこと)からたくさんの目を持つことができることを知っている。
本質や根っこを知っている人を見分けるのは簡単です。何かにおいて目だってますから。
そこら辺にいる人とは違うオーラを発しています。
本質や根っこを知らない人、好きなことが長続きしない人も割と簡単かな。
仕事で共通の言動があります。
「覚えることが多くて大変。」「職種・業種が違うから話してもわからない。」「最近○○していない。」「何か一緒にやろうよ。(特にスポーツ)」「どんな人でも対等に話せない。(敬意を払うこととは別)」
好きなことについて何時間、何十時間も話せないから。
好きなことがコロコロ変わっても変わらなくてもどちらも本人の好き好きなのでどちらもで構わない。
勝手に続けたいなら好きになるしかないことは言える。
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