厳しいことだけを言うのは、本当の優しさではない。
自己満足が強く、思い込みが激しい。そしてひとの痛みがわからない。
苦労が多ければ多いほど。
嫌な思いをしていればいるほど。
我慢が多ければ多いほど。
辛い思いをしていればしているほど。
痛い思いをしていればいれいるほど。
その経験が早ければ早いほど。
ひとに優しくなれる。ひとを助けようと思う。
厳しい言い方を選択肢として選ばない。
それが思いやりであり、本当の強さである。
・・・ひとに優しくしましょうよ。
・・・願い。
最近聞かれて驚いたことがあります。
「前職は何をされていたのですか?」
前職?
縦のコミュニケーションが少ないからこの質問の仕方なのでしょうか。
人生経験がある方や目上の方にもこの質問をするのでしょうか。まあするのでしょうね。同じ世代がこういう言葉を発すると悲しくなります。
質問の仕方を考えていた方がいい。前職を聞いた方がいいのか。関わった仕事をを聞いた方がいいのか。
20代だから、30代だから人生経験が少ないと思うことは非常に危険なこと。
20代でも30代でも圧倒的な人生経験をつんでいる人は何人もいることは忘れてはいけない。
多くの人と会うこと、多くの仕事の量、人生経験をしたらこの質問はしなくなるのでしょうね。
本質を理解しよう。
そこに何があるのか。何の意味があるのか。なぜ気持ちがないといけないのか。なぜ敬意が心からないといけないのか。
徹底的に・・・。
永遠に・・・。
できることは異常、できないことは正常。
社会人になって2年目以降この考え方をするようにしてきました。
自分のポリシー。
できることが人に当てはまりますが、できることが正常=普通=100%=できて当たり前とするとできること自体を感謝しなくなることがあり、100%のことで満足できず150%も200%も望んでしまう。
自分自身に求めるのならば問題は発生しないが、できること自体が普通という考え方を他人に求めると傷害が発生し無理が発生する。他人に期待してしまう。他人に期待というのはまったく抽象的で何の価値もないこと。
他人に期待をするのではなく、できないことを正常であり普通とすると、できたことが起きたら素晴らしいと感じ、例え目標とする100%のもを70%までできたとすると70%もできたと感じるでしょう。
逆に100%が正常とすると100%になっていないととおかしいとなり、できないことは引き算で出来ない事柄をどんどん考えてしまう。できるとさらに良くするために色んなことを追加していく。自分にとってはそれでいい。他人にはそれを求めてはならない。
仕事ではそれは困ると思うのであれば、できる人ができない人のサポートを多くすれば済む話。仕事を外注先に依頼しても同じである。その道のプロだから当然できるという考え方を他人に求めるのは非常に危険。
そうすると人に求めるレベルが低くなります。
人に高いレベルを求めると、相手にどんどんプレッシャーを与えてしまい、どんどん負の力が働きすべてが上手く回らなくなる。納期の遅れから精神的にダメージを与えてしまうことなど。
人に厳しいひとは自分にも厳しいという考え方は間違いが多い。
人は100%ではない。例え自分に厳しいとしたとしても何処かに弱い部分や抜けがある。
人に優しいひとは自分に厳しい。
許容があり余裕がある。そして自分の弱さを知っているから他人にも弱さがあることを理解している。
自分に求めるのは「できることを正常とし目標、できないことは減らすことを目標」
他人に求めるのは「できることは異常、できないことは正常」と考える。
2009年8月21日(金)19:50~に放送された金スマSP「松岡修造 熱血テニス塾」
をHDD録画で見て。
熱血の松岡修造。世界を目指す6人の子供にテニスをとおして精神力を伝えていく内容。
素晴らしい内容です。こんな先生がいるといいですね。
人に教えるときや講師をしていたときは似たような方法をとっている私にとって非常に共感を持ちました。
仕事とおして、いかに逃げずやりとおすか。と似ています。
残念ながら周りでは急増しているように感じます。
・面倒くさいことはやらない。
・仕事はひとにやらせればいい。それよりも会議が仕事、6時になったらお酒。
・出来なくなるまで粘って、放っておいて、最後に出来ないという。
・即決・即断で決められない。・・・etc。
「強いことをアピールすることではなく、弱い自分を知って本当の強さを知る。」
ということでしょうか。
逃げること、ウソをつくこと、ごまかすこと、が習慣になってしまっているひとに
見てもらいたい内容です。
本当多い「わかってくれているつもり、知ってくれているだろう」マン。
話していないのに、わかってくれているつもり。
その道でプロなんだから、できても当たり前、わかってくれているつもり、知ってくれているつもり。
伝える方にすべて問題がある。のは周知のとおり。
例えば、ソフトウェアのプログラマーだからといって要望したプログラムを組めるかどうか確実ではないのに大丈夫だと思ってしまう。プロだから。
極端に言えば、日常生活の料理をするひとにアフリカでしかできない料理を今すぐ作ってくれると思っている。料理できるから何でもできる。当然でしょう。と同じである。中には作ってしまう人はいるかもしれないが、殆どは調べるかできないと言うでしょう。
なぜか仕事になると、できると思い込んでしまう。お金をもらって仕事をしているのだから当然でしょう。と思っているでしょう。
仕事だからといって、仕事を真面目にやるひともいれば、とにかく生活のためだけにやっているのだからやってもやらなくても関係ないと思っているひともいる。なぜ皆同じ方向に進んでいると想像、期待するのか。私にとってはその希望はまったくの無駄である。同じ方向に持っていくために行動するのが必要である。
話を聞いていれば、そのひとが好きで仕事をやっているのか、仕事だからやっているのか、嫌々やっているのか、嘘をつきながら仕事をしているのか、知識があるのかを最初の段階で見抜いて行かないと、後が大変になる。わざと大変にしたがるひともいますけど。
確実にこなして行きたいので上手く行く方向を考える方が先かな。説明が足りなければ何度でも説明はする。その説明で理解してもらえなければ、違う形で説明をする。相手が仕事をスムーズにできる方がいいわけなので、中和をとる。もちろんその企業の判断を試す場合もある。
こんな当たり前ができないひとが多い中、できるひとがいたらそれは奇跡である。
面接官を仕事から経験させてもらっている中で、男性、女性ともに「このひと駄目だな?。」と思われる瞬間がここ最近非常に多い。
このご時勢だからでしょうか。応募は非常に多い。そしてこのご時勢だから頑張っているひとと頑張っていないひとの差が激しく目立つように。そして駄目だと思われるひとはそのポイントが非常に際立つように。
頑張っているひとはさらに10倍、100倍頑張っていて、ただ頑張っているひとは普通以下の枠にいれられる。日本はアメリカを絶対とし資本原理主義な訳ですから当然の流れ。アメリカ絶対主義をやめれば変わることでしょう。まあ今はないか。日本は日本です。と思いたい。
面接を受ける男性はなぜかアンポンタンが多い。
ドタキャン、服装が変、基本趣味が生活のすべて。特に当日面接に来ない、当日面接を断るのは男性に多い。どれもちょっと考えれば出来るのに基本できないようです。
一方女性は今までの流れと特に変わらない。
家庭の話を持ち込む、口調が強い。基本真面目なため、好印象は受けやすい。
面接官が女性の場合口調はそのままでいいが、面接官が男性の場合、普通に話すよりワントーン落として話した方が普通に聞こえる。性質上仕方がないことです。
共通点は、どこかの情報なのかしれないが、せっぱつまっている感を出さないで余裕の感じを必ず出す。いい加減、適当すぎ、勉強嫌い、いつの時代でも一緒ですがとにかく条件が多い。そして今何が起きているのかニュースを見ていない。調べれば完全失業率がどれくらいなのかどの業種に求人が多いのか少ないのか簡単にわかるのに。
せっぱつまった感じを出しすぎると良くないので、その中間で。仕事をさせてください感を出せばいいのに。と思うが。生活を守るための仕事という感じも感じないし、仕事をしたくて仕方がないと思っているわけでもない。不思議です。
この人たちとは逆に10倍、100倍と頑張っているひとはどんどん頑張っている。どんどん仕事をこなしている。考え方も非常にシンプル。ぶれていない。
まあ、好き嫌いですから頑張らなくても問題はないか。
最近ちょっと感じたことでした。
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